top of page

崩れていく人格 〜あの時の母はもういない〜


父からの告白

それは、父が亡くなるちょうど1年前のことでした。 ある日、父から電話がありました。落ち着いた声で、こう言ったのです。

「お母さん、認知症に罹ってしまったんだ」

その時の私は、認知症という病気が、これほどまでに人を変え、家族を翻弄するものだとは、まったく想像もしていませんでした。


母の「最期の正気」

父の葬儀の日。 荼毘に付す直前、母が棺に向かって「パパ、ありがとう」と小さくつぶやきました。 その声は、驚くほど澄んでいて、優しく、あの頃の母の声そのものでした。

あれが、母の「最期の正気」だったように思います。

その後、実家で一人暮らしとなった母は、まるで古びたタイルが音もなく崩れ落ちるように、少しずつ、けれど確実に変わっていきました。


疑念と怒りに満ちた声

最初は、同じことを何度も聞いたり、鍵の置き場所を忘れたりと、まだ「年相応の物忘れかな」と思える程度でした。

けれど、やがて母は、まるで別人のようになっていきました。

「私の財布がない」「通帳が見当たらない。あんたたちが持って行ったんでしょ!」

そんな電話が、1日おきに私や妹のもとにかかってくるようになりました。 その声には、疑いと怒りがこもっていて、もうあの優しかった母の面影はどこにもありませんでした。

何度説明しても、母の記憶は煙のように消えていき、また同じ疑いが繰り返される日々。


電話線を外した日

ある日、私は精神的に限界を迎えました。 電話に耐えきれず、ついに電話線を外してしまったのです。

「ひどい娘だ」と自分を責めながらも、どこかでほっとしていた私。 そんな矢先、玄関のチャイムが鳴りました。

配達員が手渡してくれたのは、母からの電報でした。

『ワタシノ ツウチョウ カエセ』

カタカナで綴られたその言葉に、私は愕然としました。 電話がつながらず、母は電報を打ったのです。


施設へ、そして脱走

ケアマネージャーと相談し、地元の老人ホームに入居させることを決めました。 「良いところだから、ちょっと2〜3日泊まってみたら?」とごまかしながら預けた日。 母は帰り際に「後で迎えに来てね」と言いました。

でも、母はどうしても家に帰りたくて、何度も施設を抜け出し、タクシーで自宅に向かいました。 けれど、家に着いたとたん、自分がどこにいるのか分からなくなり、近所の方が気づいて警察に通報。 パトカーに何度もお世話になることになりました。


終の棲家、そして別れ

施設のスタッフの勧めで、認知症対応のグループホームに移ることにしました。 ようやく、私も妹も、少しだけ安心できるようになりました。

最後に母に会った日のことは、今でも忘れられません。 異常にやせ細り、老いが一気に押し寄せたような姿。 私の顔を見ても、誰だか分からない様子で、声をかけても、虚ろな目で見つめ返されるだけでした。

あの元気で、優しかった母は、もうどこにもいませんでした。

数年後、母はそのグループホームで静かに息を引き取りました。


今、思うこと

私は、これでよかったのだと思っています。 何も分からなくなり、孤独な世界に生き続けるよりも、母はようやくその苦しみから解放されたのだと。

認知症は、本人だけでなく、家族の心も削っていきます。 でも、あの時の選択が間違っていなかったと、今は思えるのです。

もし、今、同じように悩んでいる方がいたら、どうか一人で抱え込まないでください。 そして、時には「自分を守ること」も大切にしてください。 それは、決して冷たいことではありません。 大切な人を想うからこそ、できることもあるのです

コメント


bottom of page